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2008年09月03日
【心】心の疲れとは?
いきなりですが、
●心の休ませ方 「つらい時」をやり過ごす心理学●
著者:加藤諦三 出版:PHP文庫
より、”まえがき”を引用します。
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「生きるのに疲れた」という言葉を時々聞く。
生きるのに疲れるということは、肉体的に疲れたということではないだろう。仕事をしすぎたとか、運動をしすぎたという意味ではないだろう。肉体的に疲れたのであれば、休めば回復する。寝れば回復する。
しかし、生きることに疲れた時は、寝ても疲れはとれないし、だいたい、寝ようとしても寝つかれないことが多い。生きることに疲れるということは、心身共に疲れるということであろうが、主に心が疲れたのであろう。
また生きることに疲れたということは、単に何かにショックを受けて疲れたということだけでもないだろう。悲しい事件が続いて心理的に疲れたという意味だけではない。親しい人を失って疲れたという意味だけでもないだろう。
もう生きるのがイヤになったという意味で、「生きることに疲れた」言う人が多いだろう。
生きることに疲れた人は、「生きるのがイヤ」と思いつつも、世の中に恨み辛み(うらみつらみ)は残っている。
「生きることに疲れた」と言う人は、小さい頃からの毎日のストレスの中で、すべてがイヤになったのだろう。そして心の中に憎しみが抑圧されている。
例えば人と話をするのでさえシンドイ。近くにいる人と会話をすることですらエネルギーを消耗する。会話を楽しむ人がいるが、生きることに疲れた人は会話するのも辛い。何気ない日常の会話も辛い仕事になる。
それは無理をして話しているからである。興味がないのに、興味のあるふりをして話をしなければならないからである。会話をしようとすると、自分が自分でなくなるからである。
生きることに疲れた人は、心の底に憎しみが抑圧されているから、人と心が触れ合えなくなっている。一人でいることは楽しくないが、皆でいるのも消耗する。人前で自分を偽るからである。そして何をするのも億劫である。
だから、周囲の人から何かを要求されることが辛い。簡単なことでも「こうしてくれ」と要求されることが辛い。
自分からしたいこともない。かといって何もしないでいるのも辛い。生きるのがイヤなのに対処の仕方が分からない。食べたいものがない。見たいものもない。映画にも演劇にも行きたくない。会いたい人もいない。でも家にいても退屈でやりきれない。
おそらく「生きることに疲れた」と言う人は、世の中に恨みを持ちつつも、生きるエネルギーを失ったということであろう。
長いことさまざまな感情を強引に心の底に押し殺しているので、生命力が低下しているのであろう。生命力の低下した人が、生きることに疲れた人ではないだろうか。
なぜ人は生きることに疲れるのだろうか。なぜ生命力が低下するのだろうか。生きることに疲れた人は、おそらく憎しみとか敵意とか嫌悪感など、さまざまなマイナスの感情が、心の底にうっ積しているのであろう。
生きることに疲れた人は、長いこと憎しみの感情を直接相手に吐き出すことはなかった。また、犯罪を犯すことで憎しみの感情を社会に吐き出すこともなかった。あるいは、反戦運動に参加して正義を盾に憎しみの感情を吐き出すこともなかった。
しかし根雪のように凍りついたマイナス感情を、本人はあまり気がついていない。
生きることに疲れたという感情は、嫌いな会社で働きながら会社を嫌いとも意識しないで、長く働いている時の心理状態であろう。あるいは、嫌いな家族と一緒にいながら家族を嫌いとも意識できないで、長年一緒に生活した後の心理状態であろう。
しかも本人はそこで真面目に生きてきた。「認めてもらいたい」と思って頑張って生きてきた。自分は無理をしていると気がつかないで夢中で生きてきた。「この人生にはきっと何かあるだろう」と一生懸命に生きてきたのに、気がついたら生きることに疲れていた。
その疲れはイソップ物語風に説明すれば次のような物語であろう。
孤独でお調子者のクマがいました。今日もサルから、
「あなたは穴を掘るのが上手ですね。一度名人芸を見せてください」
と言われました。
クマは本当は掘りたくないけれど、サルに認められたいので、喜んでいるふりをして穴を掘りました。掘り上げた土がみるみるうちに山のように積み上げられていきました。疲れたクマは、
(もういいだろう)
と思い、サルを見ました。ところがサルは、
「残念ですね。そんな程度ではモグラさんのほうがもっとすごいですよ」
と言いました。すると、
(あんな小さなモグラに負けてなるものか)
とクマは前よりも力を出して、深い深い穴を掘り出しました。毎日毎日自分に無理をして掘り続けて、
(これなら誉めてくれるだろう)
とクマは思いました。そこで、
「これでいいですか?」
と言ったのですが返事がありません。耳をすましてみると地上の音がまったく聞こえないのです。クマは急に不安になって穴からはい上がろうとしました。しかし、あまりにも深く穴を掘りすぎてしまったために、穴から出られなくなりました。
そして、クマはほんとうに出られなくなったと知った時初めて、
『サルの言葉に踊らされるこわさ』
を知ったのです。”認められたい”という欲求さえなければこんなことにならなかったのにと、クマは悔やみました。
そう思った時に、どっと疲れが出てクマは生きる気力を失いました。でも、助けてくれる人はもう誰もいませんでした。
生きることに疲れた人は真面目な人である。努力してきた人である。努力している時に、まさか自分がこのようになってしまうとは予想もしなかった。自分の努力は、いつか報われると思っていた。いつか皆から賞賛されると思った。
まさか自分の人生が、このような形で行き詰るとは予想していなかった。でもいま、生きることに疲れて、何もする気にならない。
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上記の文章は、とても簡単に簡潔に「心の疲れた人」、「生きることに疲れた人」、或いは「うつ病などの人」の説明をしてくれています。
自分がそうである人、周りにそのような人がいるという人は、このような心理状態が「生きることに疲れた」「心が疲れた」ということだという風に思ってください。勿論、人によっては、もっと複雑であったりするとは思いますので全てそうだとは言えませんが。
私自身があまり人と関わろうとしないのも、まさにこういうことが理由。一人でいることの寂しさよりも、皆でいることの煩わしさのが大きいと感じるので一人でいることを好むのです。皆でいると消耗し疲れてしまうことが多いのです。
「人付き合いが苦手」という人は、得意・不得意の問題ではなく、このように精神的な消耗や苦痛をどの程度感じるか、というのが本当の理由なんだと思います。
「心の疲れ」は、なかなか自覚しにくいものだと思います。上記のクマのように「生きることに疲れてしまう」まで気づかない人も多いと思います。
そうならない為にも、自分なりの心の休ませ方を考えてみるといいと思います。紹介した本もおススメです。
投稿者 zunichi : 2008年09月03日 17:28
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