2009年07月04日

【心】解放された性がストレスになる現代人

Category:[ 精神と心 ]

「性の解放=抑圧からの解放」、「性の解放=ストレスの発散」そんな風にイメージするのが一般的だと思いますが、果たしてこれは本当にそうなのか?と疑問を持つ方もいると思います。

「性」に関する情報はあらゆる形で社会に氾濫しています。私が生まれた頃の約30年前から現在に至るまでの実体験にもとづく感覚からいっても、自分が子供の頃に比べれば「性の解放」はさらに進んだと言えるでしょう。そのことが「良い」か「悪い」かは別として、そういった現状がストレスの減少ではなく増加に繋がっている側面について考えてみたいと思います。

まずは、「自分に気づく心理学 著者:加藤諦三」より、解放された性に関して書かれた文章を紹介します。

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●解放された性に怯える現代人

・・・性が社会的に解放されるに従い、それは内的には負担となっていった。外側の規制がとれればとれるほど、内的にはストレスがつよまっていった。

男性も女性も、自分がいかに素晴らしいかを相手に証明しなければならなくなったからである。そしてそれは同時にお互いにテストされるという心理的負担になった。人々はこのテストに合格しなければならなくなった。かくて男性の不能や女性の不感症が大きな問題となってくる。・・・(略)

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「性」が問題になるのは基本的には「男女関係」になるが、お互いに「相手を満足させなければならない」といった思いが強ければ強いほど、それは大きなプレッシャーになります。性に対する情報が増え、性に対する考えや価値観が変わってきたことによって、その強迫観念のようなプレッシャーはますます高まっているでしょう。

特にそれなりの年齢になり、それなりに経験も知識もあると見られる年頃の男女であれば、その傾向はますます高くなるような気がします。

現代の女性であれば「ダイエット」ということを意識せざるをえない状況ということの一因はこのことにあるのではないかと思います。露出度の高い服が増えたり、そのようなファッションが流行れば、体型を気にするのは必然です。もちろん「ダイエット」によって女性が綺麗になって頂くのは男としては嬉しいことではありますが、その裏で過大なストレスを抱えることになっているかもしれないと思うと、一概に良いこととは言えないでしょう。実際に、「太る」ことを過剰に気にするがあまり精神を病んでしまう方がいることも事実としてあります。

では、男にとって最大のプレッシャーと言えばやはり「性交渉」でしょう。もちろん女性にもプレッシャーはありますが、男のほうがプレッシャーが強いのが一般的だと思います。男女関係において、あらゆる局面で「相手を満足させねばならない」というプレッシャーが男にはあると思いますが、特に「性交渉」にはそれがあると思います。

先日、mixiニュースの中に性交渉に関するニュースがありました。

「性交渉を毎日持つことにより、精子の状態が改善し、妊娠の可能性も高まることが新たな調査で分かった。」

ということをオーストラリアの博士が研究成果として発表したそうです。このこと事体は科学的な研究成果なのでしょうが、この情報によって更なるプレッシャーを抱えることになる男性がいることも否定できない事実でしょう。特に元々、性的能力に不安を持っている人により一層のストレスを与えることは容易に想像できます。

このように性には様々な問題があり、性の解放が問題を解決してきた面もあるかもしれませんが、問題を深くしてきた面もあるということを認識しておくべきだと思います。こうすればいいという解決方法もなかなかありません。

しかし、最初に書きましたが性の問題は男女の問題。男と女の関係の問題なので、やはり相性の良い人を選ぶというのが重要だと思います。例えば、性に旺盛な人は旺盛な人同士。淡白な人は淡白な人同士という感じで。どちらか一方、或いは両方が過大なプレッシャーやストレスを抱えなければならない関係を維持しなければならないというのは、お互いに不幸だと思います。

ちなみに「お前はどうなんだ?」と言われれば、性に関しては特にプレッシャーやストレスはさほど抱えていないつもりです。「そもそも自分なんか大した男じゃない」と自分に言い聞かせておくと、ある程度プレッシャーから逃れられます(笑)。ヘタレでもいいという方はどうぞお試しください(笑)。

--- [ 参考書籍 ] ---
自分に気づく心理学―幸せになれる人・なれない人 (PHP文庫)
加藤 諦三
4569574009


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投稿者 zunichi : 20:44 | コメント (0) | トラックバック

2009年05月27日

【心】人はなぜささいな事実にも傷つくのか?

Category:[ 精神と心 ]

書籍「自分に気づく心理学 著者:加藤諦三」より引用。

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事実というのは、人によって全くその重みが違う。この一点を理解することで人間関係の私的なトラブルはどれだけ避けられるか分からない。

たとえば夫婦で、恋人同士で、いろいろないさかいをおこす。そしてお互いに相手がなんでそんなに怒ったのか理解できないでいることが多い。

そのうちお互いに疲れてくる。相手を理解しようという気持ちも、理解してもらおうという気持ちもなくなってくる。そして、長いいさかいごとのあとで、お互いがお互いの気持ちのなかに閉じこもってしまう。

「この机なんだか少しガタガタしてるわね」「このお皿小さすぎる」「この車、色がどぎつすぎる」「あの車の方が大きい」「この手続きめんどくさい」「あの人の声が大きい」「この家道路に近い」「陽あたりが悪い」・・・なんでもよい、どんなちいさな事実でもよい。とにかくなんでもない日常生活のさまざまな事実は、人によってまったく重さが違う。

それはある人にとって、どうでもいいことであるが、別の人にとっては自分の神経症的自尊心をひどく傷つけるものでもある。

<中略>

事実はその人の価値観を通してその人の心に達する。同じ事実はお互いの心に達した時、全く異なって感じられるのである。

<中略>

神経症的な自尊心の持ち主は、傷ついた時、次のようなことに注意すべきなのである。自分を傷つけた言葉、あるいは事実があるが、それは相手にとって、全くどうでもいいことであるからこそ、述べられたのだということである。

「相手はなぜそのことを言ったか?」「それはその事実が相手にとっては、ささいなことだからである」「そうであるなら、そのことで傷つくのは、自分の問題である」

このようなことを絶えず自分の心の中で会話してみることである。


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ここで述べられたことは、日常生活でよくあるすれ違い的なことですが、誰にでも経験のあることだと思います。自分が言った何気ない一言で相手を傷つけたり、怒らせたりしてしまった、またはその逆。

一つの事実をとってみても、それがどれだけ心の中での重さなり広さなりをもってくるかは、その人が持っている価値観によって変わってくるわけです。

そういうささいなことで、夫婦関係や恋人関係が損なわれるようなことになるのは虚しいものだと思います。価値観の違いということを念頭においておけば、「無用に傷つくこと」も「無用に争うこと」も避けられることが多いかもしれません。


--- [参考書籍] ---
自分に気づく心理学―幸せになれる人・なれない人 (PHP文庫)
加藤 諦三
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投稿者 zunichi : 00:47 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月18日

【心】なぜか不愉快になること

Category:[ 精神と心 ]

「不愉快だ」・「イライラする」・「ムカつく」、こういった気持ちになることが人には必ずあると思います。しかも理由は分からないけどとにかくそういう気持ちが沸いてくる。例えばこんな時はどうでしょう?

「今日は何時に帰ってくる?」

このように奥さんに聞かれたとき、あるいは親や恋人に聞かれたときに何故かムッとしてしまったことがないでしょうか?私は結婚はしていないので、奥さんに聞かれたということはないけれども親にそう聞かれて何かムッとして「分からん」というような返事をしたようなことがあったと思います。

なぜこれくらいのことで不愉快になってしまうのか?。その説明を書籍「自分に気づく心理学 著者:加藤諦三」より引用・紹介します。


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●帰宅時間を聞かれると不愉快になる日本の夫

不愉快というのは眼をそむけた欲求不満である。よく日本の男性は出がけに奥さんから“今日は何時ですか?”と帰りの時間をきかれることを嫌う。それを言われると急に不愉快になるという。

しかし、おそらくこれも単純なことであろう。自我に目ざめる青年期に自分の部屋を持ちたがり、その部屋に母親が無断で入ってくるとすごく怒る。見られて困ることが書いてもいないのに、日記帳を見られるとやはり怒る。

ただそれだけのことで、自分の世界に土足で踏み込まれたような気がするからである。知られて困るか困らないかは別にして、自分の世界を持つためには秘密が必要である。秘密というのは誰にも知られないものである。

<中略>

小さな子供が自分の秘密を持ちたがるのと同じようなものなのである。母親がその子供の気持ちを大切にして、秘密の場所をそれなりに扱ってくれて育った人もいるし、逆に「秘密はいけません」式に母親が子供の気持ちを踏みにじってしまった環境の中で育った人もいる。

子供が秘密の場所を持ちたがる気持ちを大切にした母親は子供の成長を助けたのであり、逆の母親は子供の成長を妨害したのである。

「秘密はいけません」式に育てられて大人になった人は、大人になっても“今日何時に帰るの?”という質問に秘密を責められているような気持ちになる。子供の頃味わった罪責感をその時再体験する。

小さな子供なら、

「だめだ!きいちゃ!」
「なんでそんなこときいた!」

と言って抗議したり、母親に手を上げてかかっていかれる。
しかし、三十歳や四十歳になってそんなみっともないことはできない。しかし、小さい頃満足していないこの気持ちを持って大人になっている以上、本音は同じである。三十歳になった大人でも本音は、

「そんなこときくな馬鹿野郎」

なのである。
しかしそんな幼稚な気持ちが自分にあるとは認めたくない。そこで、

「君は干渉しすぎる」
「男はいったん外に出ればいろいろなことがあって・・・・・・」

という理由付けをはじめる。これは全くの言い訳である。

<中略>

説明できない感情というのは、たいてい何か基本の欲求から眼をそむけているということを、その人に告げている。理由もなく不愉快になるのは、何か自分の欲求を自分が隠しているからである。自分が隠しているものの中で最も一般的なのが幼児性である。

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どうでしょうか?。よく考えてみれば自分がこうしたいとかああしたいとか何らかの欲求があり、それを妨げられて欲求不満になるから不愉快になる訳ですね。

何か分からないけど不愉快になった時、自分の中にある人間としての基本的な欲求を見つめてみると、自分が何故不愉快になったのかが分かるかもしれません。それが分かれば「なんだそんなことか」と自分を落ち着かせたり、あるいは何らかの対処ができるようになるのではと思います。

--- [ 参考書籍 ] ---
自分に気づく心理学―幸せになれる人・なれない人 (PHP文庫)
加藤 諦三
4569574009


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投稿者 zunichi : 22:38 | コメント (0) | トラックバック

2009年02月17日

【心】要求がましい大人とは?

Category:[ 精神と心 ]

誰の身の回りにも、自分にとって不満に感じる人はいると思います。しかし、そういう人を『無視』できる人と『からんで』いってしまう人がいます。「ほっとけばいいのに・・・」と思っても、からんでいってしまう人にはそれができないようです。

これはいったいどういうことなのか?何故、「無視」したり「ほっておく」ということができないか?今回はそういう人について書いてみます。では、前回と同じくこのことについての説明を書籍「自分に気づく心理学 著者:加藤諦三」より引用・紹介します。


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●幼児性を残した大人は要求がましい

<前略>

不満な人間がそばにいると気になるが、これはつとめて無視することである。つまり、その不満な人間は「そこにいるがゆえに」不満なわけでなく、どこにいたって不満なのである。

ただ問題は、こちらにも幼児性がそのまま残っていると、そこにいる不満な大人を無視できないということである。

つまり幼児性をそのまま残している大人は、近くにいる人にどうしても気持ちがからんでいってしまうのである。それは、幼児性を残しているということは、一人でいることができないということである以上、仕方のないことである。

情緒未成熟な大人は近くにいる人をほっておけない。どうしても気持ちがからんでいく。余計なお世話をする。干渉していかざるを得ない。親切とか心配とかいうことを口実として、近くの人に干渉していく。

<中略>

情緒的に未成熟な大人は、近くの人を気にいったり、嫌ったり、好きになったり、面白くないと反発したり、好意を持ったり、敵意を持ったりする。「ほっておく」ということがどうしてもできない。

<中略>

従って、自分の気持ちがそのようにして近くの他人にからんでいってしまう人は、まず自らの幼児性を反省することである。それを反省しないで、親切だとか、そういうことは冷たいとか、友情だとか、愛情だとか、いろいろの言葉を使って、自分の気持ちが相手にからんでいくことを正当化すると、いつになっても心理的に成長することはできない。自分の気持ちが相手にからんでいってしまうことを「思いやり」というような言葉で正当化していると、いつになっても思いやりのある人間にはならない。

思いやりを持つためにはまず相手を理解しなければならないであろう。しかし自分の気持ちが相手にからんでいく時は、決して相手を理解しようというのではなく、自分の思うように相手の気持ちを支配しようということにしかすぎない。

たとえば、幼児性を残した大人は、こんな時、相手の「ほっといてくれ」という気持ちを許さない。自我の確立した大人にしてみればべたべたとからんでこられることはたまらない。

そこで、こんな時、「ほっといてくれ」という気持ちになる。しかしこれを理解しない。そんな態度にでもでれば、こんなに心配してあげているのに、と、恩着せがましい態度になる。そして余計にしつこくからんでくるようになる。

<中略>

からんでいく人は、嫌いでも好きでもないというように、自分の気持ちを相手から切りはなしておくことができない。どうしても近くにくると、憎んだり、気にいったりというようになってしまう。

大人の条件というのは、このようにネバネバと相手にからむことなしに、付き合えるということである。従って好きになった人は、まさに好きになった人なのである。心の底で憎みながら、意識のうえで好きになっているなどということはない。

<中略>

とにかく幼児性を残したままの大人の人間関係というものはさわやかなものにならない。だから自分の周辺の人間関係が、さわやかで快適なものでないならば、まず自分の心の中の幼児性を認めることである。

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自分が人に何かを要求するときに「要求したいから・すべきだから、要求しているのか?」それとも、「からんでいたいから要求しているのか?」どっちなのか、一度考えてみたいと思います。

あなたはどうですか?

--- [ 参考書籍 ] ---
自分に気づく心理学―幸せになれる人・なれない人 (PHP文庫)
加藤 諦三
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投稿者 zunichi : 01:50 | コメント (2) | トラックバック

2008年12月19日

【心】不安はどこからくるのか?2

Category:[ 精神と心 ]

前回の続きです。

前回までの内容では、『不安』を抱きやすい人は、接している人に自分の弱々しい内面をのぞかれてしまうのでは?というように感じてしまうために不安になっている。簡単にいえばこういうことでした。

では、そういう人は誰に対してもそういうふうに思うのかといえば、そうではないようです。誰にでも一緒にいると『不安』を感じる人というのと『安心』できる人というのがいると思います。神経症的な人であってもやはり、『不安』を感じる人とそうでない人がいるのだそうです。

その違いは何なのか?といえば、心の底でその人のことを「好き」なのか「嫌い」なのかということです。

しかし、この一見簡単そうな「好き」とか「嫌い」という感情の区別は意外に難しいようです。そもそもそれができないから、心の底では嫌いだと思っている人とも、必要以上に或いは「好き」であるかのように接し、それによって『不安』を感じる。

では、前回と同じくこのことについての説明を書籍「自分に気づく心理学 著者:加藤諦三」より引用・紹介します。

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●心にもないお世辞を言ってしまう人には注意する

<前略>

好かれることで自分を守ろうとしている人は誰に対してもいい顔をしてしまう。自分が心の底でその人を好きか嫌いかなどは関係ない。(一部略)

誰かれの関係なく好かれようとはするが、他方心の底ではやはり好きな人と嫌いな人がいる。好かれるという心の必要性が一方にあるために、またその必要性が大きいために、心の底にある好き嫌いの感情は意識されることがすくない。

自分が付き合うのに適した人で、自分もまた好きな人がいる。そんな人に好かれようと努力することは自然である。しかし相手は利己的な人で、自分が心の底では嫌っているのに好かれようと努力していることもある。

後者の場合当然抑圧がおきる。その抑圧が不安を生み、焦りを感じさせる。もしある人といて、なぜか理由の分からない焦りを感じるとすれば、自分はこの人を心の底では嫌いなのではないかと反省してみることである。

<中略>

本当は嫌いなのに好きであると思っているということを、どうして見分けることができるであろうか。心の底では嫌っているのに好きだという振る舞いをしてしまう反動形成を見分けるには、心にもないお世辞に注意することである。

<中略>

心の底で好きでないからこそ、心にもないオーバーなお世辞が言えるのである。もし本当に好きなら人間はその人に対してそんなに平気でウソをつけるものではない。

<中略>

・・・安心感は自分の世界を持つところから生まれてくる。ところがこのような人といると自分の世界が失われるのである。

自分の内面は嫌悪と好意に分裂してしまっている。そして自分の内面の弱さや嫌悪を知られたくない、知られたくないのにのぞかれてしまうような気持ちになる。

===============

だから『不安』である、ということですね。

独りであり孤独な時に落ち着かず不安な気持ちになるのは自然なことだと思いますが、周りに誰かいる、一緒にいてくれる人がいるのに不安を感じるのだとすれば、上記の例のような何か矛盾した気持ちを抱えているのでは?ということを意識してみることも必要でしょう。

恋愛関係がうまくいってない人が訴える不安とか落ち着かないといったようなことは、まさにこのようなことが原因なのでしょう。

ともかく、自分という人間がどのような人間であるかということが見えないことには対処のしようもないし、それ故に不安であるということにもなります。自分を知ることはやはり大事なのだと思います。


ところで、私自身は自分をどうやって守っているのか?と考えてみましたが多分こうです。

「私を好きではない人間や私自身が好きだと思えない人間とは付き合わない、或いはそれなりの距離を置く。」

ということだと思います。こんな贅沢を言ってると殆ど独りでいることになってしまいますが(苦笑)。人間だもんってことで勘弁してくださいね(笑)。

--- [ 参考書籍 ] ---
自分に気づく心理学―幸せになれる人・なれない人 (PHP文庫)
加藤 諦三
4569574009


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