2008年11月05日

【論文】田母神元航空幕僚長の論文『日本は侵略国家であったのか』(全文)

今なにかと話題の田母神氏(元航空幕僚長)が書かれた論文を全文掲載します。興味のある方はごゆっくりと読んでみてください。
※一部ふりがなを追記しています。
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●日本は侵略国家であったのか

田母神俊雄(防衛省航空幕僚長 空将)

アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

1928年の張作霖列車爆破事件関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論(黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋(ろこうきょう)事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇(リュウ・ショウキ)が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争(岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932年1月には3千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、1945年の終戦時には5千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年の大阪帝国大学、9番目が1939年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク) という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源(キンソグォン)大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン) もいる。

李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠(イウン)殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠(イウン)殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠(イウン)殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀(フギ)殿下の弟君である溥傑(フケツ)殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

時間は遡るが、清国は1900年の義和団事件の事後処理を迫られ1901年に我が国を含む11カ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会)」。また1915年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4年後の1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編(渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36年後の廬溝橋事件の時でさえ5600名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会)」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943年から解読作業を開始した。そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。

ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は60年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実効支配が続いている。

東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。

自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。


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論文の中で引用されている書籍

マオ―誰も知らなかった毛沢東 上
土屋 京子
406206846X

マオ―誰も知らなかった毛沢東 下
土屋 京子
406213201X

黄文雄の大東亜戦争肯定論
黄 文雄
4898310982

日本よ、「歴史力」を磨け―「現代史」の呪縛を解く
櫻井 よしこ
416369420X

日本史から見た日本人 昭和編―「立憲君主国」の崩壊と繁栄の謎 (祥伝社黄金文庫)
渡部 昇一
4396312024




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投稿者 zunichi : 23:20 | コメント (2) | トラックバック

2007年12月27日

いわゆる「従軍慰安婦」 第3回

それでは、前回の続きです。日本で、反日活動派の手によって「従軍慰安婦」の話題が広まりつつある中、お隣の韓国でも「慰安婦」が問題となりはじめていました。

1990年1月:
『「挺身隊」怨念の足跡取材記』

と題した4回の連載記事が、韓国の反政府系新聞「ハンギョレ新聞」に掲載され、これが大反響を呼んだそうです。

これを執筆したのは、韓国の上流子女の学校、梨花女子大教授のユン氏(女性)である。

ユン氏自身も上流階級の出身で梨花女子大を卒業。戦時中は親の威光で挺身隊の工場動員もされなかったそうで、その心の痛みから慰安婦救済活動を始めたと語っています。

大学教授なら事実に基づいた研究をすべきなのに、彼女はひたすら反日運動を盛り上げ、自らの贖罪意識を満足させることが目的となってしまったようです。

なにしろ、この連載は「挺身隊」と「慰安婦」を完全に混同していたのです。内容はというと元慰安婦の2人の証言を交え、なんと「吉田清治さんの証言」がそのまま事実として引用され、さらには千田夏光氏から教示を受けたという記述まである。

さらにすごいのは、在日朝鮮人・金一勉氏が1976年に刊行した

『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』

という本の内容をそのまま引用していることです。これは徹底した反日感情で書かれており、朝鮮人が慰安婦になったのは、

「朝鮮民族を衰退させるための日本の陰謀」

と主張し、「ニクイチ」("憎い"の語呂合わせといわれる)という言葉から「兵隊29人に慰安婦1人」が存在したなどと言っている、

トンデモ本のような内容なのである!

吉田清治の著作は1989年に韓国語訳が出たが、韓国の地方紙「済州新聞」がその内容を全面否定。ユン氏が先の新聞連載を書いた時には、既にインチキであることが証明されていた。金一勉氏の著作に至っては全く信憑性がなかったのです。

にも関わらず、
大学教授という権威ある人がこれを紹介したため、韓国の大部分の人が「挺身隊」と「慰安婦」を混同し、日本軍は朝鮮民族衰退の大陰謀のもと若い女性を奴隷狩りし慰安婦にしていたと信じ、その数は「ニクイチ」から換算して朝鮮人だけで17万~20万人いたという完全なデマが一般常識として広まってしまったのです!!

このデマが元になり1990年5月の盧泰愚大統領訪日の際には、韓国の女性団体が

「挺身隊問題に対する日本当局の謝罪は必ずなされなければならない」

との声明を出しています。


**********
(゚Д゚≡゚Д゚)?
この後の動きは次回につづきます。。。

--- [ 参考書籍 ] ---
新・ゴーマニズム宣言 第4巻
特別編 従軍慰安婦論争はもう終わっている!
著者 小林よしのり
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投稿者 zunichi : 00:49 | コメント (0) | トラックバック

2007年12月14日

いわゆる「従軍慰安婦」 第2回

では、今回はこの件を国家の問題になるように種をまいた人の話をします。


■種をまいたのは日本の主婦


1989年、史上初めて
「慰安婦に国家が謝罪と補償をすべき」
という意見が表明されました。

『朝日ジャーナル』5月19日号に掲載された
「日本国は朝鮮と朝鮮人に公式に陳謝せよ」
という意見広告でした。

これは、以降、隔週で全15回掲載されたそうです。


この広告主は、

「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を百人委員会」

という市民団体でした。名前だけ聞くと何やら大きな組織のようなきがしますが、実際に中心になって動いていたのは、大分市の主婦A氏と在日朝鮮人のB氏の二人でした。


1989年11月19日、A氏とB氏は韓国を訪問。日本政府に謝罪と補償を求める裁判を起こす原告にするための戦争犠牲者を探して回ったそうです。しかし、特別な人脈もないため大した成果を上げられず3日後帰国しました。

この時、この2人の訪問を受けた毎日新聞ソウル支局の記者は、

歴史の発掘という努力はともかく「原告を探す」という発想には驚いた

と語っています。


この成果を得られなかった「犠牲者探し」から数週間後、2人の元にソウルの

「太平洋戦争犠牲者遺族会」

から協力したいとの申し入れが来ました。
この申し入れを受けた大分市の主婦A氏は90年3月に再び韓国を訪問。「遺族会」は1000人の会員を動員して説明会を開催し、そこでA氏はこのようなことを言ったそうです。

「最初は10人を原告として裁判を始めたいと思います!」

「しかし、この10人の背後には多くの原告がいることを明らかにするために委任状をできるだけ多く欲しいのです」

「裁判に必要な費用は今、日本で400万円準備しています」

「たくさんの委任状を背景にまず10人を原告として裁判を始める予定です!」


その後、説明会に参加した「遺族会」の会員は日本大使館にむけてデモ行進を行いました。

つまり、このように火種をまいたのは日本の反日活動派なのであります。

はー、、、ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ。。。

次回は、その後の広がりについてお送りしたいと思います。


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新・ゴーマニズム宣言 第4巻
特別編 従軍慰安婦論争はもう終わっている!
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投稿者 zunichi : 22:25 | コメント (0) | トラックバック

2007年12月11日

いわゆる「従軍慰安婦」 第1回

久しぶりに、日本の歴史シリーズ。「A級戦犯」シリーズもまだ途中ですが、今回は最近になってまた話題に上がってきた・・・「従軍慰安婦」です。

強制連行があったという証拠はなし!・・・ということでもう終わった話のはずなのですが、なにやら外国の国会で訳の分からん決議案が可決されて、またしても話題浮上。

まあ、この際ですから何も知らない方もいらっしゃるでしょうし、少しづつこの問題について解説をしていこうと思います。

■「従軍慰安婦」という言葉はいつからでてきたのか?

日本で初めて「従軍慰安婦」という言葉を使い、それを戦争犯罪として広めたのが
・1973年発行の千田夏光著 『従軍慰安婦』
という本です。

その前年に出ていた、
・本田勝一著 『中国の旅』
が自虐ブームとでもいうような風潮を作っていたので、それに便乗した形で出た本でした。

そのため、とにかく根拠が薄弱であっても「とにかく日本が悪かった」という記述が目立ち、今日では誤りも多く指摘されているが当時は風潮に乗って50万部も売れたそうです。。。


また、1983年にはあの有名なウソ本
・吉田清治著 『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』
が発行される。

銃剣を突きつけて、村の女性を奴隷狩りし慰安婦にしたというショッキングな内容だが、今日ではこれが全くの虚構であることが証明され、本人もフィクションであることを認めている。


ただ、これらの本が発表された時は、まだ誰も日本政府に謝罪や補償を求めるようなことは言っていなかったのです。。。


種をまいたのは誰なのでしょうか??

第2回につづく。


--- [ 参考書籍 ] ---
新・ゴーマニズム宣言 第4巻
特別編 従軍慰安婦論争はもう終わっている!
著者 小林よしのり

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投稿者 zunichi : 21:51 | コメント (0) | トラックバック

2007年08月15日

いわゆる「A級戦犯」 第5回

お待たせしました、第5回をお送りします。まあ、誰も待ってないでしょうが。(笑)

今回も第4回に引き続き、インドのパール判事について紹介していきます。パール判事の「東京裁判」に対する判決・主張については前回に書いたとおりですが、その他にもパール判事の考えを知ることのできるエピソードなどを紹介します。


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■■■パール判事の真意とは?■■■

東京裁判から4年後、パール氏は再来日し、広島を訪れて原爆慰霊碑に献花したそうです。しかし、その慰霊碑に書かれた碑文、


「安らかに眠ってください。
過ちは繰り返しませぬから。」


を見て、こう仰ったそうです。


この「過ちは繰り返しませぬ」という過ちは誰の行為を指しているのか。もちろん日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか。私は疑う。

ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落としたものは日本人でないことは明瞭である。

落とした者が責任の所在を明らかにして「二度と再びこの過ちは犯さぬ」というのなら肯ける。


この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。

さらにアメリカはABCD包囲網をつくり、日本を経済的に封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。

アメリカこそ開戦の責任者である。

そして、パール氏はこのように思ったそうです。


東京裁判で何もかも悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ。

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現在の日本でも、太平洋戦争に関する報道などには「日本のことにしかふれない」ものが数多くあります。戦った相手国やそこにいたった背景というものが語られず、「日本人が日本人を苦しめた」「日本が悪かった」というものばかり。

あの時代、世界はどうだったのか?
その中にある日本はどういう状況だったのか?

そういった視点で考えてみませんか?


次回は、、テーマ未定です。(笑)


いわゆる「A級戦犯」 第5回
いわゆる「A級戦犯」 第4回
いわゆる「A級戦犯」 第3回
いわゆる「A級戦犯」 第2回
いわゆる「A級戦犯」 第1回


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小林 よしのり
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投稿者 zunichi : 15:30 | コメント (0) | トラックバック

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