2010年02月13日

「デイリー・ミー」と「デリート・ユー」

情報リテラシーの話です。

前回の記事、
「考えや思考が偏りがちになるのはなぜか?」2009年5月6日更新
では、情報を取捨選択する方法や態度によって「偏り」がどんどん増していきます。というような内容でした。今回も似たような内容ですが、特にインターネットの特性に関連した内容です。前回の記事でも、インターネットの特性によって思考の偏りに益々拍車がかかってしまう面があるということをお伝えしましたが、更にそれを補足したいと思います。

●「デイリー・ミー」とはなにか?

「デイリー・ミー」とはネット時代の新しい新聞のことです。通常の新聞は、新聞社の編集方針や考えによって、記事の取捨選択や紙面の構成が決められているわけですが、それが自分の趣味・嗜好になったのが「デイリー・ミー」というわけです。

実際にYahoo!のマイページやGoogleニュースの機能を使って、自分好みにニュース情報が表示されるような使い方をされてる方もおられるでしょう。私もGoogleニュースを主に利用しています。

インターネットは高度に個人化(パーソナライズ)されたメディアであるため、なおのこと自分にとって望ましい情報環境を作りやすい。このようなインターネットの特徴を「デイリー・ミー」という言葉で例えたりするのです。

●「デイリー・ミー」を読むもの同士の繋がり

膨大で多様な情報が掲載されているインターネットでは、自分と同じ考えや気分、思想を持つ者と簡単に繋がることが可能になりました。現実世界では似た意見や傾向を持つ人を見つけるのは簡単ではありませんが、インターネット上では時間と空間を超えて、似た価値観の持ち主を見つけ出すことができます。

例えばブログでは記事内容、Twitterでは「つぶやき」の内容で判断することができるというわけです。

各ユーザーが「デイリー・ミー」を読みながら、似た者同士で同調意識を高められる。それは時として、「多くの人を自作のエコーチェンバーに閉じ込めるようなシステム」として機能します。

エコーチェンバーとは、音の反響効果を人工的に作り出す部屋や装置のことです。小さなつぶやきであっても、自分に都合の良い言説を選択し、多くの人と同調しあうことでその声を大きくできるのです。

これは最近流行のTwitterが正にそのものであるとも言えますね。

●「デイリー・ミー」から「デリート・ユー」へ

これまでの話のように多くの人が自分にとって心地よい話に耳を傾けていった場合、人や所属する集団によって見ている風景が全く異なってきます。もちろん、もともと私たちは人によって見ている風景が異なるものですが、インターネット上では、見ている風景が異なる存在が可視化されるということが起こります。

これは当たり前のことで、自分と同じ考えや気分、思想を持つ者と簡単に繋がることが可能になったということは、その逆もまた然りということです。自分とは違う考えや気分、思想を持つ者を簡単に見つけられるし、見えてしまうということです。

そもそも必要な情報を選択するということは不必要な情報を削除するということと同じであり、似た者同士で集まりたいという欲望は、異質な者を排除したいという欲望と表裏一体です。「デイリー・ミー」は、「デリート・ユー(delete you=あなたを削除する)」という要素を常に潜ませているのです。

----------------------------------------------------
以上の記事で私が訴えたかったのは「情報はあまり取捨選択しないようにしよう」とか「いろんな人の意見を聞くようにしよう」ということではありません。それも一つの方法ではあるとは思いますが。

あくまでインターネットでの情報に対する接し方の特性として、こういうことがある、ということを紹介しただけです。こういったことを踏まえた上で、自分のネット上での言動について判断して頂くことがまず必要だと思います。勿論、悪影響ばかりがある訳ではありませんので。

でないと、誰かが振り撒いたデマゴギーなどにのせられてしまったり、サイバー・カスケードを発生させたりすることに繋がりかねないからです。自分が作り上げた情報環境がどういうものかぐらいは自分自身は把握しておく必要があると思います。

私自身は例えばTwitterで自分とは明らかに意見や思想の違う人をあえてフォローしたりしています。その他の所ではそういう試みはしていないのでせめてここぐらい(笑)というのもありますが、一応自分なりに思考の蛸壺化を防ぐための処置でもあります。ただ、正直に言ってムカつくことも多いので(苦笑)、精神衛生上あまりよくはありませんので、平気な方以外はそんなことをしなくてもいいと思います。「デリート・ユー」の衝動に駆られることもありますが、そんな時は正々堂々と議論をするだけです。

より良いインターネットライフを送る知恵として活かして頂ければ幸いです。

--- [ 引用&参考書籍 ] ---
ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書)
4480063919


Click Here!
↑↑↑ ランキング参加中。クリックして頂けると嬉しいです!!


投稿者 zunichi : 04:56 | コメント (0) | トラックバック

2009年05月06日

考えや思考が偏りがちになるのはなぜか?

最近、政治的なエントリーばかりですが、この種の情報を発信することで心配になるのは、何らかの誤解を与えてしまったり、偏見を持たれてしまう事です。人間はどうしても偏ったものの見方や考え方に陥りやすいものですが、それは何故なのか?を考えてみたいと思います。今回は、萩上チキ著「ウェブ炎上 ---ネット群集の暴走と可能性」を参考にします。


●考えが偏りがちになるのはなぜ?

-------------------->
人はもともと、情報のフィルタリング、取捨選択やふるい分けを行いながら日常生活を送っています。人は誰しも自分の見たいものを見たがるし、自分の見たくないものは見たがらない。見たいものを見たら喜ぶし、見たくないものを見たら不快な気分になる。

人は多かれ少なかれ情報のフィルタリングを行うことで、自らの世界観をメンテナンスしながら管理しています。

どんな街に行くか、どの新聞を読むか、図書館のどのコーナーに行くか、どのようなサークルに入るか、何の仕事に就くか、どの人に話題を振るか、どんな服を身につけるか・・・。
(ウェブ炎上 P75~76より)
<--------------------

このように私たちは、自分の嗜好によって情報を選んで取得しているわけです。考えてみれば当然ですね。人は基本的に「快」を求めていて、わざわざ「不快」になるようなものを見たり聞いたりしたくないのですから。

そして、この傾向はインターネットを利用することで、より「加速」します。

-------------------->
インターネットを利用する各人は、意図的であれ非意図的であれ、常にある程度の情報のフィルタリング(情報のふるいわけ)を行っており、興味のある情報、知りたい情報などを選別しています。ウェブ上で人は、自分が知りたいと思う情報を収集します。あなたが検索をしているとき、調査に不要な情報を除外しながら、求めていた情報にたどり着こうとするでしょう。

<中略>

個人の先入観に基づいて他者を観察し、もともと持っていた考え方や偏見にとって都合のいい情報だけを集め、それにより自分の先入観を補強することを確証バイアスと呼び、そのようにして印象深い記憶のみが強調されることをセレクティブメモリ(取捨選択された記憶)と呼びます。

<中略>

情報収集の仕方や態度によっては、どんな人であれ確証バイアスやセレクティブメモリを強化し、偏見を強めてしまう場合があります。それはウェブ上でも同様ですが、インターネットは高度に個人化(パーソナライズ)されたメディアであるため、なおのこと自分にとって望ましい情報環境を作りやすい。
(ウェブ炎上 P64~66より)
<--------------------

誰しも「先入観」や「偏見」は大なり小なり持っているものです。気をつけないと、それらの先入観や偏見が「間違っていない!」「正しいんだ!」という確証を得たいだけの情報収集になってしまい、先入観や偏見を強化しただけになってしまいます。

私自身は、今までも発信する情報は「正確であること」や「先入観を植え付けたり、偏見的でないこと」に気をつけているつもりですが、今後ともその点は気をつけていきます。

ただ、そうはいっても全ての情報をそろえてから判断する、などということは現実的には殆ど不可能なことです。物事の本質を見る目を養い、どこかで覚悟を決めて「決断」を下しながら進むしかありません。


--- [ 参考書籍 ] ---
ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書)
荻上 チキ
4480063919


Click Here!
↑↑↑ ランキング参加中。クリックして頂けると嬉しいです!!


投稿者 zunichi : 00:13 | コメント (0) | トラックバック